2018年いっぱいで引退するタッキーこと滝沢秀明さんが、初めて自分の幼少期について語りました。
母子家庭で貧乏だったというタッキーの幼少期の生活は、イメージとはかけ離れたものでした!
その壮絶な生活とキラキラしたタッキーのイメージとのギャップに衝撃を受ける人も多いのではないでしょうか?
今回は滝沢秀明さんの幼少期の生活について詳しく紹介します。
タッキー(滝沢秀明)の壮絶な幼少期
1982年、東京の八王子市で3人兄弟の末っ子として誕生したタッキーこと滝沢秀明さん。兄弟は3歳上の姉と2歳上の兄です。
タッキーはその整った顔立ちから王子様のようなイメージがあるので、キラキラした幼少期を送っていたんだろうなと思っていました。
しかし、実際の幼少期はなかなか大変な生活だったようです!
父親との悲しい思い出
タッキーは自分の父親について、「子供ながらにわかりやすい愛情を受けた記憶はない」と話しています。
父親に遊んでもらったり一緒にお風呂に入ったりした記憶があまりないんでしょうか?
小さい男の子はきっと父親と遊んだりしたいはずですよね!
子供ながらに愛情を受けていないと感じるなんてよほど寂しかったのではないかと思います。
後に父親と母親は離婚するのですが、父親が家庭をあまり大切にしない人だったから離婚に至ったとも考えられるようなエピソードですね。
母子家庭になる
幼少期にタッキーの母親と父親は離婚しています。
父親が家を出ていき、タッキーと兄弟は母親が引き取ることに。そして祖母も含めた5人での生活が始まりました!
母親1人で子供3人を育てるのはとても大変だったでしょうね。
祖母が働いていたかどうかはわかりませんが、働いていたとしても父親のようには稼いでいなかったでしょう。
両親が揃っていても子供3人育てるのは大変なことなのに、1人で育てるなんて本当に働きっぱなしだっただろうなと思います。
再婚して苗字が滝沢に
母子家庭だった頃のタッキーは母親の姓である「指田」という苗字でした。その後、母親が再婚して今の「滝沢」という苗字に!
今の「タッキー」という愛称は母親が再婚しなければ生まれなかったんですね!
タッキーはジャニーズJrの頃から「タッキー」と呼ばれていますが、最初は「滝沢」という苗字に慣れていなかったので、その呼び方にもなかなか慣れなかったと話していました。
母親はいつも下ネタばかり言うような明るい人だそうで(笑)、おそらく美人だと思うのでモテたでしょうね。
再婚して生活は少しは楽になったと思いますが、全く知らない人が急に父親になるというのも精神的にキツイかったと思います。
しかも再婚相手と母親の間には男の子が1人生まれているので、タッキーには異母兄弟の弟もいるのです!
両親が離婚し、母子家庭となり、その後新しい父親ができて弟もできるという、複雑な幼少期だったんですね。
イメージとは全く違う幼少期のタッキー
父親から愛情を受けず、母子家庭となって大変な生活だったタッキーの幼少期。
その壮絶さがよくわかるエピソードがありました!
とにかく貧乏で苦しかった
子供3人と祖母と母という5人家族での生活は金銭的にとても苦しく、幼少期は貧乏生活だったというタッキー。
なんと鉛筆や消しゴムも満足に買えず、服もボロボロだったそうです!
食べるものも無く、母親の帰りが遅い日は兄弟3人で1つのお菓子を分けてそれを食事代わりにしていたんだとか!
まさかタッキーがそんな生活をしているとは思いもしませんよね。
鉛筆や消しゴムすら買えない、食べ物もない生活はどれだけ大変だったかと思うと泣けてきますね…。
幼少期のこの苦しい思いが、その後ジャニーズに入るきっかけとなったそうです。
餃子の具材は…
タッキーは幼少期の思い出として、餃子の具のことも話していました。
餃子の具って普通はキャベツとお肉ですよね?でもタッキーの家の場合はお肉ではなくツナが入っていたそうです!
しかも、ずっとそれが普通の餃子だと思っていたそう。
キラキラした存在のタッキーがお肉が入っていない餃子を食べていたなんて全くイメージできません!
もちろん餃子の具はツナでも普通に美味しいと思いますけどね。
ツナはお肉よりも安くて、だいたい1缶100円ちょっとで買えるはず。
母親はなんとか美味しくてボリュームのあるものを食べさせてあげたいと考えていたんでしょうね。
ジャニーズに入ったのは幼少期の生活のため
幼少期に苦しい生活を送っていたタッキーは中学生になって「どうやったら子供も働けるんだろう」と考えるようになりました。
中学生ではなかなかバイトもできませんもんね。できるとしたら新聞配達くらいでしょうか?
その時に思いついたのがジャニーズだったそうです!
お金が稼げれば何でもよかった
タッキーはアイドルに憧れがあったわけではなく、お金がもらえればどこでもよかったそう。
幼少期の苦しい生活から一刻も早く抜け出したいと思っていたんでしょうね。
タッキーは自分履歴書を送り、書類審査を通過、そしてオーデションに向かうのですが、その時もちきんとした服がなくてボロボロの服で参加することに。
オーディションの時のことをこう話していました↓
「ボロボロの服を着て・・・。オーディションが終わる時に“僕がジャニーです”って…ジャニーですって言われても誰だろう?って。僕は本当に詳しくなかったので」
「隣に翼もいたんですけど、翼はジャニーさんが名前を聞いていて、この子受かったんだろうなって」 引用:yahoo!news
なんと偶然にも今井翼さんと隣の席だったそうで、もう運命としか言えませんね!
タッキーは無事オーディションに合格し、13歳でジャニーズJr入りすることとなりました。
幼少期の生活から抜け出そうと中学生でここまで行動するなんて本当にすごいですね!
ジャニーさんは父親代わり?
ジャニーズ入りしたタッキーはジャニーさんから仕事のことだけでなく、人として大切な規律や協調性など色々なことを学んだそう。
「オヤジってこういう存在なのかな」と初めて思ったと話していました。
父親から愛情を受けず、幼少期に教えてもらえなかったことを教えてくれたジャニーさんに感謝しているからこそ、引退してジャニーさんを手伝うという選択をしたのかもしれませんね!
父親には愛情を与えられなかったようですが、父親代わりのような存在のジャニーさんに出会えて本当によかったですね。
まとめ
今回はタッキーこと滝沢秀明さんの幼少期についてまとめました。
幼少期の壮絶な生活はタッキーのイメージとはかけ離れた壮絶なものでしたね!
お金を稼ごうとジャニーズに応募したことで今のタッキーが存在すると思うと、運命ってすごいなと思いました。
そしてタッキーの行動力と努力があったからこそ、ここまで活躍することができたんでしょうね。
引退まであと少しですが、これからもタッキーを応援していこうと思います!